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更新日:2024年5月17日
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歴史まちづくり推進担当 電話 61-3849
鎌倉には社寺、史跡、別荘建築、芸術文化、行事などさまざまな文化財があります。それらがまるでモザイク画のように組み合わされたまちであるとしてまとめたストーリー「『いざ、鎌倉』~歴史と文化が描くモザイク画のまちへ~」が、日本遺産に認定されました。
日本遺産とは、地域の歴史的魅力や特色を通じてわが国の文化・伝統を語るストーリーを「日本遺産」として文化庁が認定するもので、平成27年度から始まった制度です。
日本遺産は、ストーリーを語る上で欠かせない有形・無形の文化財群を、地域が主体となって総合的に整備・活用し、国内外へ戦略的に発信していくことにより、地域の活性化を図ることが目的です。文化庁では、2020年の東京オリンピック・パラリンピック競技大会までに約100件の認定を予定しています。
27年度は18件、28年度は鎌倉を含む19件のストーリーが認定されました。
源頼朝が幕府を開き、本格的な武家政権が誕生した地である鎌倉は、幕府によって急速に都市整備が進められ、鎌倉のまちの基本構造は鎌倉時代にほぼ確立した。
鎌倉は戦国時代には静かな農漁村となったが、その中にあって命脈を保った社寺は、江戸時代中期以降は庶民などの信仰と遊山の対象となり、江戸近郊のいわば観光地となっていった。
明治時代に入ると、横須賀線などの開通に伴い、政界人や財界人などが訪れるようになり多くの別荘が建てられ、これを契機に、鎌倉は近代都市としてのまちづくりが進められた。
別荘地としての発展に伴い、「鎌倉文士」と呼ばれる作家たちが住まうようになり、活発な文芸活動を行うとともに、「鎌倉カーニバル」や「ぼんぼり祭」などの発案や、鎌倉の歴史的遺産と緑が調和した景観の保全につながる「御谷騒動」など、地域にも積極的に貢献した。
さらに近代の鎌倉では、他にも多くの芸術家が暮らしたことから、古都としての歴史に加え、近代芸術の新たな文化を創出するまちとなった。
古都鎌倉は自然と一体となった中世以来の社寺が醸し出す雰囲気の中に、各時代の建築や土木遺構、鎌倉文士らが残した芸術文化、なりわいや行事などさまざまな要素が、まるでモザイク画のように組み合わされた特別なまちとなった。
2面へつづく
平成27年に行われた国勢調査の結果、本市の人口は172,902人、世帯数は73,032世帯でした(10月1日現在・速報値)。5月1日現在の数値は、10月以降の増減数を速報値に合算したものです。