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更新日:2026年2月18日
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鎌倉市指定文化財「石造宝篋印塔(文和五年銘)」(以下、泣塔という)が建つ丘陵は倒壊の恐れのある危険木や枯損木が繁茂し、その根により丘陵岩盤に亀裂等が生じていました。放置すると泣塔及び丘陵そのものが崩落する危険があったため、今年度、泣塔の周辺丘陵の樹木伐採及び除草作業を行いました。今後、防災工事の進捗に合わせて、公開を検討していきます。
鎌倉市寺分に所在する南北朝時代に造られた安山岩製の宝篋印塔です。総高203cmの大型塔が完存し、銘文から造立年や造立趣旨が判明する貴重な例です。『鎌倉市史考古編』に記されているとおり、南北朝時代の宝篋印塔の典型的な造形であると評価され、昭和46年9月11日に鎌倉市指定有形文化財に指定されています。
基礎には銘文が刻まれ、「行浄(僧侶)が、石塔婆(泣塔)を建立します。それぞれの檀那(出資者)の現世での安穏と、死後は善い場所(浄土)に生まれることを願います。文和5年(1356年)2月20日に供養しました」という内容が記されています。銘文からは、人々がこの世で安穏と暮らしたい、来世は極楽浄土に生まれ変わりたいという、当時の人々の願いがうかがわれます。さらに、深沢の地にあることも重要で、鎌倉時代の中心地であったいわゆる三方を山に囲まれ一面を海に面した範囲には、多くの中世の文化財が残りますが、そこから離れた場所でも中世の仏教文化が根ざしていたことがわかります。
「泣塔」の名称の由来は、かつてこの塔を手広の青蓮寺に移したところ、夜な夜なすすり泣く声が聞こえため、元の場所に戻したことに由来するなどといわれています。